ソ、ソ、ソクラテスか
品川駅からインターシティー2階の屋根付き通路沿いに歩いてみると、そのまま八ツ山橋まで来れてしまう。また、ここからソニー通りに出るのに京急の踏み切りで待たされることが多かったのだが、地下道が既に開通していることを発見。どんどん便利になってゆく品川界隈である。午前7:30、学院出勤。
給与計算はそろそろ佳境。スタッフに任せ、昼前には出てしまう。
田中美知太郎『ソクラテス』、藤沢令夫『プラトンの哲学』を読み終わる。クセノフォン『ソクラテスの思い出』が、あまりに訳が分からなかったのが悔しく、図書館で手に取った2冊。まあ、少しは分かりました。
ソクラテスとは、あれですな、大山倍達ですよ(「何事も実践されねば証明されない」)。ブルース・リーです(「知るだけでは不十分だ。行われなくてはならない」)。あるいは長嶋さん(「ドーンといけ、ドーンと」)か。
つまりソフィストと呼ばれるインテリたちが、ああだこうだと専門的な知識を蓄え、蓄えれば見せびらかしたくなるわけで、それを披露し合うという時勢下、しかしそんなもの「人がよく生きる」上では役に立たないじゃないか、と言ってみせる。と、こういうのって時代を問わずウケるもののようである。一刀両断の爽快感といおうか。
プラトンは、自分の哲学を、これは「ソクラテスが言ったこと」というフレコミで書いた。インスピレーションはソクラテスから得ているのかも知れないが、あくまで自分の哲学である。なんせソクラテスの死後、その著述を完成させるのに10年も20年もかけているんだから。
だからクセノフォンの『ソクラテスの思い出』に出てくる生のソクラテスが、凡庸なオッサンに見えても、それは仕方ないのだ。ということで納得した気になって、とりあえずやめたやめた、もう、意地張って難しい本読むのは。
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