ローラ・ボー②
通勤途中、近所の中学校近く、体操服を着て公道を歩く3人のチューボーを見る。体育の授業で、これから外でも走るのだろうか。ほっぺの肉の丸い付き具合といい、華奢な肩といい、子供だねぇまだ。可愛いものだ。
稼ぐわけでもなく、(多分)たいして物事、深く考えるでもなく、何となくブラブラしてればいいわけだから、いいご身分である。まあいろいろ大変なこともあるんだろうが。
事務処理能力でも、ベンチプレスでも、多分まだ100m走でも、勝負になればボクが勝つだろう(競ってどうする)。が、確実に彼らの方がボクより勝っていることもある。その一つは余命だ。
例えば50年後に生きていられるかという勝負になれば、彼らはまず90%以上の確率でボクに勝つ。けっこう悔しい。負けず嫌いっすから、おじさん。が、仕方がない。
携帯をピコピコやりながらゆっくりゆっくり歩くおねーちゃんがいる。また前を見ていないものだから、微妙に右へ左へ、ゆらゆらスライドしながら歩くわけで、追い抜き難いことこの上ない。「しっかり歩きなさいっ」と心の中で怒ってみても、やっぱりこの人もボクより長生きする(どういう思考のつながりか?)。また悔し。
そんなこといったら、結局いつかは死ななきゃならないこと自体がかなり悔しい。例えば500年後ぐらいに、世の中がどんなになっているかを見れないのは非常に残念だ。現在と500年前の世界の違いを見るにつけ、現在から500年後の世界も相当に今とは違うだろうと思われるから。しかしこれも「ままならない」。
ということで読者は、人生における多くの「ままならない」事々と、いかに折り合っておいでであろうか。
努力によって避けることができるものも多い。例えば食事や運動に心がければ、成人病を避け、寿命も伸ばすことができるし、一生懸命働けば経済的困窮を避けることもできよう。が、例えば死の訪れそのものを避けることは誰にもできない。そんな大袈裟なことを持ち出さなくても、例えば会いたくない人間に生涯、本当の本当に一度も会わないというのも、まず99%以上不可能だろう。
道を歩いていて交通事故に巻き込まれることだって、タバコも吸わないのに肺がんにかかることだってある。「お~い! おかしいじゃないか」と叫びたくなるようなこと、「なんで私が」と煮えくりかえるようなこと、世の中にはいっぱいある。我々はこの現実とどう折り合えばいいのか?
カール・ヒルティー『幸福論』は、それには2つの方法があると説く。一つが信仰、もう一つが哲学である。ちなみにここで「うーむ、オレなら第3の道、お酒だね」と言っちゃうと依存症になっちゃうわけだ。
ヒルティーは百年ほど前のスイスの法律家、政治家、文筆家、牧師である。牧師というのはもちろんキリスト教のそれなわけであって、彼が最終的に勧める処世術の基本は神とキリストへの信仰の方である。
どんなにひどいことが起こったって、それは全て全能なる神の仕組んだことである。そして自分はその神を信じ、彼に全てを委ねる者(信仰者)である。だから、何が起こっても驚かないし、悲しまないし、苦しまない。ありがたく神の意向を受け入れる。と、簡単に言えばだが、このような心の有り様を保つことで、「ままならぬ」人生との折り合いをつけるわけだ。
いかがだろう? 一般的日本人にとっては極めて縁遠い発想といわざるをえないのではなかろうか? 善し悪しがどうであろうと、ピンとこないものは使えない。使えないんじゃ仕方ない。次いきましょう、次(『8時だョ! 全員集合』における、いかりや長さん風に)。
――
午前9時出勤。いよいよ後期の授業開始。待ちかねたぜ!
今日は2年生。とりあえずレントゲン写真について学んでもらいます。ドイツの物理学者レントゲンがX線を発見した1895年は、DDパーマーがカイロプラクティックを創始した年でもあります。
その後の実技はいわゆるRP(リザルト・パッケージ)の第1回ですな。RPとは? 学校説明会に来てくださったら見れますので、是非来てください。要するに手技治療のコアの部分です。
リザルトとは「結果」という意味。結果を出せないといけません、手技療法家は。
| 固定リンク
