カイロプラクティック総論
授業の後半は実技の時間ですが、まだテクニックには入らず、3回に渡って「カイロプラクティックの歴史」と「病理モデル」についての講義がおこなわれました。
授業は「マニピュレーションはいつからおこなわれていたか?」という内容から始まりました。歴史を学ぶことで、「カイロプラクティック」に対する理解はより深まったことと思われます。以下は講義のイメージです。
『昔からあらゆる地域で腰痛や首の痛みに苦しんでいる人々がおられたのですが、人々はなんとかその痛みを解消しようと、様々な工夫をおこなってきました。その治療法の一つとして、脊椎のマニピュレーションをあげることができます。
はっきり文書で手技がおこなわれていたことが記録されているのはヒポクラテスが活躍した頃です。その後2千年に渡りヒポクラテス式のマニピュレーションはおこなわれていきますが、19世紀を迎える頃から、当時の医師達はこの治療法を敬遠するようになります。結核が流行したからです。結核によってもろくなった背骨に対し、圧力をかけることを避けたかった、というのがその理由です。
しかし結核以外の、腰や首の痛みで苦しむ人々の「なんとかこの痛みを軽くしたい、解消したい」という願いは消えることはありません。脊椎マニピュレーションは、ある種の痛みに対し、高い効果を発揮することが経験上でもわかっていたため、マニピュレーションを受けられない、ということは大変もったいないことだったのです。
イギリスなどから移住してきた接骨師たちが、特定の地域ではマニピュレーションをおこなっていたようです。民衆のニーズが高いのに、背骨を矯正できる技術者が足りない。そのような時代背景の後押しを受けて、伝統あるマニピュレーションの技術を、「カイロプラクティック」として哲学とともに新たによみがえらせたのが、D・D・パーマーという人物なのです。』
(事務局長 小梨修司)
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