カテゴリー「学院長日記(旧『人生七転八起』)」の174件の記事

いいんじゃない、別に

 横浜市の私立中学校の校長さんが、修学旅行中に飲酒し、近く「懲戒処分」されるという。しかも飲んだのは「三百五十ミリリットルの缶ビール二本」。ボクの修学旅行は熊本市立白川中学校時代、広島方面への旅であったが、夜なんて男の先生たち、結構飲んでできあがっていたが。
 この先生、楽天の元副社長さんである。民間人校長に採用されて、今年、同校に着任したばかりという。…。
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20051101-00000002-maip-soci-view-000 産経新聞が10月25日夕刊で、月とコウノトリを合成したニセ写真を載せて問題になった。この件で、当の写真記者は「懲戒休職2か月」、写真報道局の部長と次長は「出勤停止1週間」、局長は「減給」、取締役も「減俸処分」となったらしい。
 まあ合成写真はいいことではなかろうが、風景写真でしょ。しかもなかなか良い出来だ。人の顔をすげ替えて記事を捏造したわけじゃないんだから…。


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ペルーといえば

 元ペルー大統領のフジモリさん、日本で亡命生活をしていたが、この11月6日に極秘出国。現在、チリで拘束されている。
 しかし「極秘」というわりにはチャーター機を使っている。飛行機のチャーターって死ぬまでに一度でいいからやってみたい。なに、南米までとは言いません。大阪辺りまでで結構ですから。
 しかしそれでも相当高いだろう。フジモリさんの場合、どこからお金が出るのか不思議ではある。
 一部報道によると彼、拘束は計算ずくだそうである。少し前に収録されたというインタビューをテレビで見た。
「私は難しいことを解決することに興味があります」
「困難がなければ人生はあまり面白くないと思います」
 やっぱりいいこと言うねぇ、見た目は中小企業の係長みたいなんだけど。また言い方が淡々としているのが凄みを感じさせる(ただ日本語が下手なだけ?)。
 67才だが、日本人の彼女が39才とのこと。しかもつきあい始めたのが4年前だそうだから、日本に亡命(2000年)して来てすぐである。人を惹きつける力、あるもんねぇ。
「困難があるから人生は面白い」的な事、言うだけなら結構多くの人が言っている。が、それをあそこまで体現しちゃってる人となると希有だろう。

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またスロー

 大川豊『誰が新井将敬を殺したか』を読む。予想に反して実に面白い。
 その昔、ボクは、日本の大学2年生だった頃、テレビ東京というところでアルバイトをしていたことがある。同局が開局20周年ということで、その記念イベントとして『二十歳(はたち)のレポーター』というのを募集した。で、応募したら通ってしまった。
 当時の同局で唯一2桁の視聴率をとっていた『クイズ地球まるかじり』でレポーターをやった。「地球」と言っておきながらロケは全て国内という、同局らしい番組であった。その頃のボクの通常のスタイルであったパンチ(のような)パーマに革ジャンで、そのまま出演したら、司会の桂文珍さんに
「次に出てくる人は千葉の暴走族のような格好をしていますが」
 とやられたのが懐かしい。
 服部マコさんと一緒にペルーにも行った。『二十歳の青春・インカの謎に挑戦』という番組名まで憶えている。
 そんな日々を送っていたボクに、某番組制作会社の方から電話がかかってきたことがある。
「今度マッチとアキナちゃんに応援団の特訓をやらしちゃおうと思うんっすよ~。で、大川さんさぁ――」
 マッチとは近藤真彦さん、アキナちゃんとは中森明菜さんである。当時の2大アイドルにして、ロマンスを噂されていた二人だ。
 お気づきであろうか? テレビ局内のどこかで電話番号が行き違ったのであろう。大川興業総裁・大川豊氏とボクを取り違えておいでなわけだ、この方。
 そんな大川総裁(違うだろ)であるが、政治家ウォッチングが趣味とは知らなかった。実によく読み込んでいる。
 ビル・クリントンに最初に声をかけたのはヒラリーさんであり、それは図書館であった、などと言うエピソードが紹介されているが、これはクリントンの自伝『マイライフ』にある。が、同書は2004年初版だ。大川さんの『誰が――』は1998年に出ている。どこでこの情報を仕入れたにせよ、並みでないアンテナの張り巡らせようといえよう。
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 久しぶりに五反田で天下一品ラーメンを食べる。これも実にスローだ。とりあえず売れるから、手っ取り早く儲かるから、とかいう動機からは絶対に出てこない味だろう。実に独特であるからして、これを嫌いな人が少なくないのもよく理解できる。が、コアなファンが全国に相当数いるから、この会社も経営は安泰だろう。

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スロー

RIMG0015 五反田図書館の近所の自動販売機。100円でしかも500mlのソフトドリンクが並ぶ! 少なくともボクは余所では見たことないぞ、これは。
 阪本啓一『スロービジネス宣言』を読む。フードだけじゃなくてビジネスもスローで行こう! という本だ。
 スローとは? 時代の流れに逆らう、とかいうことではない。時代を読めないビジネスには潰(つい)える運命しか待っていないのであるから(鉄則)、スローもファストもない。
 ではスローなビジネスとは? 時代の流れを、お客さんのニーズを、ゆっくり眺め、とらえるような仕事のこと。もうちょっと言えば、お客さんをじっと観察し、で、彼ら彼女らはこんなモノを欲しいんじゃないかな~と先回りして考え、それに沿って商品を作って売ってみ、上手くいくようなら継続、要変更なら改良、受け入れられる芽がなさそうなら撤退と、そんな風に腰を落ち着けた仕事の仕方のことである。
「先回りする」のが肝心である。言われてやるんじゃ駄目。
 代表的なスロー・ビジネス商品として著者が挙げているものの一つがポカリ・スエット。同種の商品がその後に続いたが、それらと一緒に今だにポカリは売れ続けている。
 1980年の発売以前には確かにこの種のモノってなかった。大塚製薬のやったとことは、モノよりはむしろ、コンセプトの開発である。
 コンセプトとは? 「アルカリイオン」「体液と同じ浸透圧」「速やかにミネラルを補充」などといった、まあものの考え方ですな。そしてそれは決して売る側の独りよがりではいけない。それじゃ売れない。買う側が潜在的に持っていたニーズを、売る側が「先回りして」読むのだ。
 ボクならホンダのフュージョン、ヤマトの宅急便を挙げる。大きなスクーターってあったらいいな。家の玄関まで荷物を取り来てくれて、日本中どこでも翌日には届く小包ってあったらいいな。言われてみれば、であるが、確かにそういうニーズって、これらの商品の登場前からあった。
 ただそのニーズを持っている本人がそれを明確に認識していない。商品やサービスとして目の前に置かれて初めて「おおっ、いいねぇ」となる。
 だからスロー・ビジネスの極意は、人の心を読む技である。「人に優しい」商売とも言えよう。そしてそんな仕事はお客さんを幸せにし、企業も幸せにする。ロングセラーになるからねぇ、そういう商品は。
「面倒くさそう」とか思っちゃいけない。人の心の奥底にあるニーズを読む作業っていうのは、やってみるとなかなか面白い。しかも上手くアテれば儲かるってんだから楽しいじゃないですか、そういうふうにやったほうが、仕事は。

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奇妙な夢

 奇妙な夢を見る。高知空港内の滑走路の土地の一部を買い、で、その上を飛行機が通るたびに請求できる土地の使用料を、エクセルで熱心に計算している夢である。仕事のし過ぎじゃないかい?
 また午前9時の、早めの出勤。午前中、山手線が止まる。小梨さん、これに巻き込まれ、出勤は昼過ぎとなる。東京駅のホームで、線路上の架線が緩んでいたのだそうである。
 午前中散歩。新築マンション。生まれたばかりで肌がスベスベの赤ちゃんを眺めているようで、気持ちがいい。
 1年生の実技部分授業は脊椎の解剖学。
 夕食=鳥と里芋の煮物など。里芋が季節だね。好きなんです実は、これ。

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カイロプラクティックは内臓の病気を治すか?

 午前9時出勤。
 準本科2年生の授業後、午後6時から学校説明会。
Q「カイロプラクティックにも治せる病気と治せない病気があると思います。それぞれについて教えて下さい」
A「カイロプラクティックの「得意技」は、もちろん、筋骨格系の疾患です。筋骨格系の疾患とは、字のごとく、筋肉や関節に問題があるもので、腰痛、肩こり、頚の筋肉の張りを原因とする頭痛(緊張性頭痛)、五十肩などが代表的です。
 骨折はカイロプラクティックの禁忌とされます。禁忌とは? 触ってはいけない、という意味です。折れた骨は、しばらくは固定しなくてはくっつきません。だからカイロプラクティックの手技でいじってはいけないのは当然です。
 また急性期の感染症も、カイロプラクティックよりは薬物によって治療されるべきです。その原因菌が特定されていて、それをやっつける薬が開発されているのであれば、速やかにそれを使うべきです。ここにもカイロプラクティックの出番は、とりあえず、ありません。
 では慢性の内臓の病気や、未だ特効薬が開発されていない病気についてはどうでしょう? がん、胃潰瘍、肺炎、それこそ無数の内臓疾患がありますが、カイロプラクティックはこれらを持つ患者さんのお役に立つことができるのでしょうか? 答えは「留保付きでYes」です。
 一般にカイロプラクティックの手技は、疾患から来る痛みを和らげ、患部への血行をよくします。これが自然治癒力のアップにつながるわけです。自然治癒力とは? 体が勝手に病気を治す力ですね。
 我々自身の内にある自然治癒力を侮ってはいけません。折れた骨でもいつかはくっつくし、胃に開いた穴(胃潰瘍)だって塞ぐし、ウイルスだって大抵のものは白血球に殺されてしまいます。
 ご存じのように人間には撃退できないウイルスもあります。例えばエイズウイルスです。が、これにしても、自然治癒力が高い状態で生活していれば発症は遅れるし、発症してもよりよい状態で生活を続けることが可能です。
 カイロプラクティックでエイズが治るとか、エイズウイルスを殺すことができる、と言ったらウソになります。そんなことはできない。が、ヒトが自然に治ろうとする力に働きかけることによって、間接的に臓器疾患と戦い、多くの患者さんのお役に立てることは間違いないのです。
 人事を尽くして天命を待つ、が、カイロプラクティックの基本思想である、と言えます」

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ゆとり

 先日、Rくんが亡くなった。市立Z小学校に通う6年生の娘のクラスメイトである。脳性麻痺で、車椅子で登校するのを何度か見かけたことがある。
 彼は、医師が予測したより何年も長く、学校に行き続けることができた。先月は同級生たちと日光へ修学旅行にも行った。子供たちは、Rくんと一緒に修学旅行に行くことを「クラスの目標」としていたそうである。
 素晴らしいことだと思う。
 いわゆるゆとり教育に批判的な人は少なくない。確かにボクも、娘の学校の話など聞くと、驚いてしまうこともある。
 例えば通信簿の評価は、「できました」と「がんばろう」の2段階のみ。もちろん先生の絶対評価だから、全員「できました」もありうる。ボクらの頃は相対の5段階評価だから、5と同数の1があったわけで、そりゃ競争はこっちの方が激しくなろう。
 また、運動会には勝ち負けというものがないのだそうだ。駆けっこも、玉入れも、やるにはやるのだが、順位や点数を記録しない。だから勝ってバンザイも、負けてクヤシーもない。
 競争がない社会は堕落する、と「ゆとり」批判者は言う。が、Rくんと一緒に旅行することを自分たちみんなの目標にできるような子達が育まれたことには、「ゆとり」の力が大きかったろう。Rくんが医師が言ったより何年も長く学校生活を送れたのも、そんな友達に恵まれたからだろう。
 これが堕落というなら堕落結構。堕落じゃなくて、スローだよ、スローライフと、流行り言葉で切り返したっていい。Z小学校の子たち、オジさんは素直に羨ましいゾ。また彼らの将来にも全く悲観していない。科学技術が一通り行き渡った先の、より豊かな社会の担い手になってくれるだろうと信じている。
RIMG0005 Rくん、今度は温泉旅行でも行こう。下見でもしていてください。なに、百年もすればボクらもみんな残らずそっちの住人だ。写真は娘の友達によるRくんの似顔絵。
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RIMG0001 午前10:30出勤。2年生の授業=脊椎の機能解剖、頚椎の機能解剖。機能解剖とは? 解剖学が骨や筋肉の「単なる」暗記であるのに対して、体の各部の働きと構造を結びつけて考えるものだ。
 例えば、頚椎はこれこれの大きさであるが、その上に乗っている頭はこんな重さだ。これを胸椎と比較するとこうなって、だから頚椎は胸椎より負担が大きく、障害も生じやすい。障害っていうのは例えばこういうのだ――云々である。面白そうでしょ。
 続いて実技=リザルトパッケージをやって見せるのの(多分)最終回。次回からは(今度こそ)お互いにやってもらいます。
 リザルトパッケージとは? 動作テストをして、治療をして、また動作テストをするという一連の流れである。もちろん治療前と後とで動作テストに差がでなくてはならない、というか差を出すべく頑張るのだ。これも、単に型を憶えるのよりずっと面白い。

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ごぶさたでした

051104_103927_M 品川のいつもの通勤道。この間ツブれたイタリア料理屋さんのあと。ティーとリラクゼーションと、どっちなんでしょう? どっちとも?
RIMG0022 午前10:30ほどの遅出勤をしてみると、事務局では今日、新しく入るプリンター2台の据え付け作業中であった。学校だからして、印刷枚数が並みでない。平均をとってみると月に4万枚弱(!)。
 昨日は珍しく丸一日、PCのディスプレイを見なかった。そのせいか今朝は目が調子いい。どうせ午後になるとまた疲れてくるのだろうが。
 どうも老眼が始まったような気がしている(小さな字を追いづらい)。PCの文字設定も最近じゃ「最大」。そのうち眼科にも寄らなければ。
 目は悪いからねぇ、子供の頃から。近眼になったのが小学校2年生で、飛蚊症も中学の時には自覚していた。
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 和泉元彌さんが、3日の「ハッスル・マニア」(横浜アリーナ)で、本職のプロレスラー(鈴木健想)に勝ったそうである。
 決まり手は”空中元彌チョップ”。いいですねぇ、ものすごくシンプルなネーミングで。「ライダーキック」を思い出します。
 試合後、母・節子さんとともに記者会見。凄いぞ、「おかあさんといっしょ」に試合後の会見をやるプロレスラー! 感想を求められ、元彌さん
「今まで上がってきた舞台とまったく違う」
 そりゃそうでしょ!
 セコンドには「セッチー鬼瓦軍団」。うわぁぁ~。そしてセッチーの息子への評価は
「100点。非常によくできました」
 こ、これも、なんか。さらに元彌さんの今後のプロレス活動に対しては
「セッチーストップをかけた」
 どういうストップか? 面白すぎ。
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 ヤマト運輸の事務管理センター長が、経費を水増し請求するなどして、約5億7000万円を着服していたそうである。男性は懲戒解雇、業務上横領で警視庁に告訴される。
 ゴオク。普通なら孫の代まで遊んで暮らせるお金だ。その額になってやっと見つかったってことは、1億とか数千万の横領なら、まだ水面下に隠れている可能性、十分にあるってことか。古今の経営者中、ボクが最も尊敬する小倉さんのヤマトでも……世の中はかくも難しい。
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 10月生と4月生で一緒に受けてもらう講義「カイロプラクティック概論」の3回シリーズも今日でお終い。次回からはいよいよ背骨の解剖学→触診の練習、と進んでいきます。
 夕食=豚キムチなど。

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またオフ

 実妹と自宅近所の散歩などしてしまう。

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オフ

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ローラ・ボー③

 さて第2のチョイス、哲学であるが、実にいろいろ種類がある。その中でヒルティーが勧めるのがストア哲学なんである。
 ストア哲学とは? 古代ローマの哲学である。その後期(完成期)の代表者がセネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスなどであり、紀元前後から後200年ぐらいまでの人たちだ。
 ヒルティーは『幸福論』の第2章全部を使って、エピクテトスを紹介している。利己的傾向や女性への蔑視など、まあ古代人のこと故いろいろ問題はあって、やっぱりキリスト教の思想には及ばない。が、信仰に頼ることを良しとしない傾向の人々、得に若い連中なんぞには、むしろこっちの方がいいんではないの、というスタンスである。
 ここらへんがヒルティーの面白いところであって、自身は骨の髄までキリスト教徒でありながら、必ずしもそれを人に強要しない。目的論的なんだね。結果オーライということである。
 さてやっとエピクテトスである。猪木の得意技が卍固めであるように、エピクテトスの得意技は「ウチとソトとを分けよ」であると言った。
 世の中には自分の思い通りにはならないことがある。これらはソト。一方、自分の機転や気の持ちようでどうにでもなることがある。これはウチである。
 ウチの例とは何だろう。例えば人に対する優しい気持ちや愛といったもの。周囲の状況に関わらず、その気になりさえすれば、ボクらは優しい心根を人に対して持つことができる。それを態度や言葉に現すこともできる。
 いや、寝不足だと、なかなかそういうわけにも――というなら、よく寝るようにすればいいわけで、これも自分の心がけ次第でほぼ完全にコントロール可能だ。だからこれ(私的な生活習慣)もウチである。
 ソトとは何か? ウチ以外のもの全てである。お金、人の自分に対する評価、生命、肉体、全て偶然によって与えられ、また奪われもする(エピクテトス自身は脚が不自由であった)。
 人の価値とはどれだけウチを自分のものとしてコントロールしているかにかかる。だからソト(名声、強いあるいは美しい体、お金)を持っている、いないは、人の価値とは無縁である。故にこれらを軽蔑し、遠ざけよ、ということになる。実践に当てはめて考えると次のようになろうか。
 寝たいから帰る、寝ないと優しい気持ちでいれないから、とか言っていると、普通のサラリーマン社会ではやってゆけない。みんなが残業しているのに、一人だけそんなこと言って帰っちゃうヤツなんて、まあ生き残れない。どうするか? やめてしまいなさい、会社、とエピクテトスなら言うだろう。
 ウチに配慮する者が賢者で、ソトに拘泥する者は愚者である。ストア的にはそういうことになっている。だからサラリーマンを続ける者は愚者、ということにやっぱりなるだろうなぁ、続けていらっしゃる方々には失礼だが。
 と、こう見てくるとストア哲学とは隠者の哲学であるかのように思われがちだ。だって――
 上のような理由で仕事を辞めるとする。お金が入ってこなくなる。どうする? お金もソトだ、こだわるな。とまたエピクテトスなら言うだろう。おいおいそれってどういうこっちゃねん、ホームレスにでもなれいうんかいな、と大阪弁で突っ込んでみたくもなる。
 実際に古代ギリシャの初期ストア哲学の一派に犬儒派というのがあって、これなんかは正にホームレスの集団であった。風呂も入らず、年がら年中道端に座り込んで思索にふけることを理想としていた。
 ここまで読んでいただいた読者には是非しっかり認識していただきたいのだが、ストア哲学は古代ローマ帝国の指導者層の哲学である。ヒルティーなんていう立派な著述家のオススメである。犬儒派みたいなものであるはずがないでしょう。実際、違うのだ。しかもこれ、私見によれば、現代のわれわれ日本人にとって非常に「使える」。
 M・アウレリウスの『自省録』によく出てくる言葉に中間物(メサ)というのがある。これは「どっちでもいいもの」である。
 ストア的には良い事=ウチに配慮することで、悪い事=ソトに拘泥することであると述べた。じゃあ世の中には良い事と悪い事しかないのか? 別に良くも悪くもないものってないのか? あってもいいんでない?
 あるのだ。それがメサである。
 意思、配慮、慈悲、慮(おもんぱか)り、愛、これらがウチであり、これらをもっていることが賢者の条件である。じゃあ、お金、権力、地位というような、まあ世の中の99%までの人がそれを求めて日々、一生懸命頑張っているような事々は? と聞かれて、これらをソトとみなして蔑(さげすめ)め、と言っちゃうと、犬儒派になっちゃう。世の中の人々を広く励ます生活哲学とはなれない。国や組織のリーダーの指導原理としても成り立ち得ない。
 アウレリウスはそこを踏みとどまって「メサでしょ」と言ってくれるわけだ。それを求めるのに血眼になってしまって、ウチを忘れてちゃ本末転倒は間違いない。が、ウチに配慮した上でなおかつメサがある(を求める)のは別に悪くはないんでない? ということだ。
 こんなボクの素人解釈も果たしてどこまで正しいのか、実は甚(はなは)だ心許(こころもと)ない。が、上のように読むことでボクが随分と救われたことだけは確かだ(主観だからね)。
「救われた」という意味は、現実社会内でボクが「ままならぬ」事々に立ち向かう上で、役に立ったということだ。そんなこと(役に立つとか、立たないとか)で決めていいのか、哲学の価値って? という問いには、これもM・アウレリウス自身が「いいんじゃない」と答えてくれている。
「眼が痛い人が目薬を求めるように、心が痛い人は哲学を求めなさい」(『自省録』ちょっと意訳)
 こんなこと言ってくれる皇帝なんているのか。いたんだなぁ、二千年も前に。
 アウレリウスはこうも言っている。
「様々な理由で貧乏している人に手を差し伸べたいと思った時、自分にはそれをするに充分な資産があったことはいいことであった。自分自身が貧乏しなかったこともよかった。神々に感謝しなきゃ」(『自省録』一17・16~17 また少し意訳)
 ストア哲学ってそんなものだ。さてローラ・ボーに戻ろう。瀕死の床で回復しつつあった彼女をジョン・トルソン師が訪れる。師というからには牧師さんだろう。
「ローラ、救済を受け入れる準備ができていますか?」
 おお、アメリカン・ストーリーには欠かせない神さま、イエスさま、キリストさまが、やっぱりまた始まるか。と思いきや、そうではなかった。この後、エンディングまで、信仰の「し」の字も出てこない。ローラは哲学の力でアルコールと戦うのだ。
 哲学っていったって、ヘーゲルとかカントではない。ストア哲学だ。
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 朝からの雨は午後にはカラリと晴れる。「○×△心と秋の空」か。
 2年生の授業は、まず前回に続いて画像診断法の講義。今日はCT。CTとは? Computed Tomography=コンピューター断層撮影である。実技はRPの続き。
 夕食=久しぶりに鳥の唐揚げ丼&皮の焼き鳥、キノコサラダ。

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オリエンテーション

 JR・Y線は新橋~東京間で、今度は、信号機のトラブル。乱れたダイアをかいくぐって、午前11時頃、遅れて出勤。
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 午後は小雨となる。2日間に渡って行われる10月新入生のオリエンテーションの、今日は初日である。
 ボクの出番は、卒業に必要な単位やら、定期テストの合格条件やら、主にそういった学院内のルール的なことの説明である。これが、授業中に居眠りしていると退場を命じられますヨ、とかいう細かい話にまで及ぶ。
 この「居眠り退場」ルールは大川学院の理念をよく現していると思う。日本の学校は居眠りに寛容であるが、これって自分以外の学生さんにとって大きな迷惑になることをしっかり認識しよう。どうしてか? 居眠りが伝染するからか? いや、そうじゃなくって――
 それはインストラクターのやる気を殺(そ)ぐからである。聴講生、学生に居眠りをしている人間がいて平気でいられるのは、よほど人間が練れた方か、どうでもいい授業をやっていると自覚している人だけだ。大川学院のインストラクターは、ボクも含めて、そのいずれでもない。
 気合いを入れて準備をしてきたのであればあるだけ、居眠り学生に出くわすとやる気を失ってしまう。インストラクターも人の子。これは致し方ない。寝ている本人以外の学生にとっては、同じ授業料を払いながら、やる気が殺がれた授業を受けざるを得なくなる。これすなわち大きな迷惑、というカラクリだ。
 まあウチの学生には社会人の方も少なくない。仕事で徹夜とか、そういう事情もあるでしょう、たまには。それなら、別に学院は出席を要求してはいませんから、そういう日は家でゆっくり寝ていて下さい。
 皮肉とかで言ってるんじゃありませんぜ(ブラック・ジャック風に)。なに、授業内容については、チャートを使えば相当程度、自習できます。また講義のビデオも事務局内に完備してますから、後でそれを見るという手もある。
 などといった話の後、初日から早速授業がある。体の面、方向、部位の基本的な名称について。インストラクターは阿部さん。
RIMG0007smll さて皆さん、お疲れさまでした。これから2年間、お互い、楽しく勉強しましょう。改めて、そして学院スタッフを代表して、よろしくお願いします。写真は高輪プリンスホテルから品川駅へ向かう、ボクの最近お気に入りの帰宅道。
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 夜、帰りの電車内、今朝のトラブルについて
「大変申し訳ございませんでした」
が車内アナウンスで連呼される。自分のせいでは全くないにも関わらずこれを言わされ続ける若い車掌さんには同情を禁じ得ない。謝る気持ちがあるなら、それをシステム改善に向けるべきだが、Y線、ボクはもう十年以上利用しているが、ずっとこの調子である。
 大雨が降った、雷が鳴った程度で、すぐにストップ。これがしょっちゅう。で、私鉄に振り替え輸送。その反対(私鉄が止まってJR・Y線に振り替え)というケースは一度たりとも記憶にない。
 夕食=カキフライ、エビフライ、コロッケなど。

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ローラ・ボー②

 通勤途中、近所の中学校近く、体操服を着て公道を歩く3人のチューボーを見る。体育の授業で、これから外でも走るのだろうか。ほっぺの肉の丸い付き具合といい、華奢な肩といい、子供だねぇまだ。可愛いものだ。
 稼ぐわけでもなく、(多分)たいして物事、深く考えるでもなく、何となくブラブラしてればいいわけだから、いいご身分である。まあいろいろ大変なこともあるんだろうが。
 事務処理能力でも、ベンチプレスでも、多分まだ100m走でも、勝負になればボクが勝つだろう(競ってどうする)。が、確実に彼らの方がボクより勝っていることもある。その一つは余命だ。
 例えば50年後に生きていられるかという勝負になれば、彼らはまず90%以上の確率でボクに勝つ。けっこう悔しい。負けず嫌いっすから、おじさん。が、仕方がない。
 携帯をピコピコやりながらゆっくりゆっくり歩くおねーちゃんがいる。また前を見ていないものだから、微妙に右へ左へ、ゆらゆらスライドしながら歩くわけで、追い抜き難いことこの上ない。「しっかり歩きなさいっ」と心の中で怒ってみても、やっぱりこの人もボクより長生きする(どういう思考のつながりか?)。また悔し。
 そんなこといったら、結局いつかは死ななきゃならないこと自体がかなり悔しい。例えば500年後ぐらいに、世の中がどんなになっているかを見れないのは非常に残念だ。現在と500年前の世界の違いを見るにつけ、現在から500年後の世界も相当に今とは違うだろうと思われるから。しかしこれも「ままならない」。
 ということで読者は、人生における多くの「ままならない」事々と、いかに折り合っておいでであろうか。
 努力によって避けることができるものも多い。例えば食事や運動に心がければ、成人病を避け、寿命も伸ばすことができるし、一生懸命働けば経済的困窮を避けることもできよう。が、例えば死の訪れそのものを避けることは誰にもできない。そんな大袈裟なことを持ち出さなくても、例えば会いたくない人間に生涯、本当の本当に一度も会わないというのも、まず99%以上不可能だろう。
 道を歩いていて交通事故に巻き込まれることだって、タバコも吸わないのに肺がんにかかることだってある。「お~い! おかしいじゃないか」と叫びたくなるようなこと、「なんで私が」と煮えくりかえるようなこと、世の中にはいっぱいある。我々はこの現実とどう折り合えばいいのか?
 カール・ヒルティー『幸福論』は、それには2つの方法があると説く。一つが信仰、もう一つが哲学である。ちなみにここで「うーむ、オレなら第3の道、お酒だね」と言っちゃうと依存症になっちゃうわけだ。
 ヒルティーは百年ほど前のスイスの法律家、政治家、文筆家、牧師である。牧師というのはもちろんキリスト教のそれなわけであって、彼が最終的に勧める処世術の基本は神とキリストへの信仰の方である。
 どんなにひどいことが起こったって、それは全て全能なる神の仕組んだことである。そして自分はその神を信じ、彼に全てを委ねる者(信仰者)である。だから、何が起こっても驚かないし、悲しまないし、苦しまない。ありがたく神の意向を受け入れる。と、簡単に言えばだが、このような心の有り様を保つことで、「ままならぬ」人生との折り合いをつけるわけだ。
 いかがだろう? 一般的日本人にとっては極めて縁遠い発想といわざるをえないのではなかろうか? 善し悪しがどうであろうと、ピンとこないものは使えない。使えないんじゃ仕方ない。次いきましょう、次(『8時だョ! 全員集合』における、いかりや長さん風に)。
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 午前9時出勤。いよいよ後期の授業開始。待ちかねたぜ!
 今日は2年生。とりあえずレントゲン写真について学んでもらいます。ドイツの物理学者レントゲンがX線を発見した1895年は、DDパーマーがカイロプラクティックを創始した年でもあります。
 その後の実技はいわゆるRP(リザルト・パッケージ)の第1回ですな。RPとは? 学校説明会に来てくださったら見れますので、是非来てください。要するに手技治療のコアの部分です。
 リザルトとは「結果」という意味。結果を出せないといけません、手技療法家は。

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ローラ・ボー①

RIMG0001 快晴。写真は卒業式に送られてきたNTTの電報。ディズニーのキャラクターのぬいぐるみ付き。送り主は、ナチュラルカイロプラクティック小川くん、そして逗子直営店の田中さん。いずれも学院卒業生。小川くんは、前回の卒業式の時もこれ、送ってくれたね。
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 ローラ・ボー『私は仮面の妖精だった』を読む。まず一驚したのが彼女のお兄さんの名前がボウだということ。とすると彼のフルネームはボウ・ボーということになる。ボーボボっていうマンガがあるが、あんな感じの方なのか(もちろん違います。本書中に写真あり)。
 ローラ・ボーは55年生まれだから今年50のはず。美人ゴルファーとして一世を風靡したが、一時はアルコール依存症でひどい状態だったらしい。死線をさまよった末に今(というか本書出版時の1999年)は立ち直っているとのこと。本書は、その依存症に至る過程に焦点をあてた自伝である。
 それにしてもバイオレントである。随所で血が飛び散る。夫に殴られて流血、泥酔して転んで血まみれ、最後は肝機能障害で血液中の血小板(血を固まらせる作用がある)が極度に減り、鼻から、耳から、爪と皮膚の間から、とにかく体中からジャブジャブ出血して病院に担ぎ込まれる。
 これがホントの傷だらけのローラ、とか言ってるアナタ。歳がバレまっせ。
 笑い事ではない。担ぎ込まれた段階での彼女の血中アルコール濃度は0.42%(本書中では「4.2」とあるが)。通常、血中アルコール濃度が0.4%を超えると、1~2時間で約半数が脳幹麻痺で死亡する。これに加えて出血があるわけだから、医師たちはまず助からないと考えた。親族が呼ばれ、お別れの時間が持たれる。
 心電図上で自分の心拍が何度も停止するのを、「それなのに何故生きているんだろう」と思いながら眺めていたというから凄い。凄いといえば子供が7人というのも凄い。
 妊娠中はピタリと飲酒が治まる。そういうことができる自分は決してアルコール依存症なんかじゃない、と自分を納得させてみるが、それはやっぱり違うのだ。出産後にまた馬鹿みたいに飲み始めるのだが、依存症じゃなかったら、それだって自分で止められたはずだ。
 かろうじて一命を取り留めたローラは断酒のための施設に送られる。そこで、自分と同様の環境下でHIVにかかり、遠からず死に行く運命の若い女性の話を聞いて号泣する。
①「私が生き残った事には何か意味があるはず」
②「我々は誰も、自分の力の及ばない大きな何かによって生かされている」
③「自分の支配の及ばないことに煩わされず、自分のできることをなすべき」
 これらは彼女が、自分の到達した境地として本書中で紹介しているもの。が、恐らくはこれら、その施設が方針として患者さんに与えている思考法なのだろう。そしてその方針を考えた人は間違いなくエピクテトスを読んでいると思う。特に③は、例えば以下のようなことである。
 自分を殴る夫を自分にどうにかできたか? NOである。これはどうしようもないこと。だから諦めなさい。
 が、飲酒に逃げず、しらふでお互い話し合うとか、人に相談するとか、そういうことはできたか? できたはずだ。これは自分でどうにかできること。だから諦めちゃいけない。
 このウチ(どうしようもないこと)とソト(どうにかできること)を分ける知恵こそ、エピクテトスの得意技中の得意技である。ところでエピクテトスとは? 2千年ほど前の、ローマ帝国の哲学者だ。
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 夕食=たこ焼きなど。

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カンヅメ

 久しぶりの二日酔いも昼頃には治まる。学院の1年生準本科は大変だ。座学の期末テストと実技テストが同日に来る。
 出番のないボクはゆっくりしようと、明るいうちに学院を出るが、JR・Y線、Y駅での車両故障に巻き込まれ、車中で3時間ほど過ごすハメに。が、車内は意外に空いている。見切りをつけたお客さんたちが別線を使ったからだろう。夕日を眺めながら悠々と本でも読む。これも悪くない。
 

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卒業式

RIMG0008 パラつく雨の中を午前11時頃出勤。雨は午後になっても上がらず。
 今日は、このブログを始めて2回目の卒業式となる。通算なら第7期。卒業生を出し始めて4年ということか。戸外で撮るのが慣例の集合写真は、今回は屋内となった。
RIMG0014 教室内での謝恩会(というか飲み会だね、あれは)はいつもながら盛り上がる。毎度のことなんだが、ついつい飲み過ぎ。まあいいか、年に2回のおめでたい場だからね。ボクが背広を着るのも、この卒業式ぐらいである。

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自分の頭で考えること②

 小泉さんが靖国神社に行ったでしょう、この間。で、方々から批判されている。共産党の人なんてこう言いますよ。
「A級戦犯が合祀されている所に一国の首相が行くなんてけしからん」
 悪いヤツが祭り上げられている所に行って、それを崇めるがごとき行為は駄目だ、というわけだ。韓国や中国の反応も基本的にはこれと同じだ。
 A級戦犯とは? 太平洋戦争直後、アメリカ軍の占領下、日本で行われた東京裁判で、「平和に対する罪」を犯したとされた何人かの日本人の方々のことだ。
 東京裁判が正当な裁判であったかどうかについては、当時も今も専門家の間で疑義(疑問。議論。あるいは議論のネタになる疑問)がある。筋道をたて、時間をかけた、ちゃんとした裁判でしたよ、という主張もあれば、戦勝国の敗戦国に対するリンチに過ぎぬ、との意見もある。ここのところの事情がフセイン裁判と瓜二つといえる。
 東京裁判が正当な裁判だったなら、A級戦犯も本当に悪いヤツらだったといえるだろう。が、逆もまた真なりだ。一転、お国のために身を挺した立派な方々ということだってできよう。本当の本当はどっちなのか、なんていわれたって、専門家の間でだって意見が分かれるんだから、ボクなんかにはもちろん分からない。
 しかし、だからこそ、どっちもあり得るのだという視点を忘れずにいたい。自分の頭で誠実に考えて出た結果であれば、仮にそれが世評に歯向かうものであったとしても、その通り述べる人間でありたい。そしてそういうことができるような社会的位置に、できれば常に、いたい。
 アメリカ人の真っただ中で仕事をしながら(国連事務局はニューヨークにある)、アメリカの一般的空気とは真っ向からぶつかる意見を言えているアナンさんは健全な良識の持ち主だ。え、知ってた、そんなこと? ボクなんかに言われなくたって? 失礼!
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 ゆっくり出で午前11時出社。
 1年生はいよいよ期末テスト。昼間部、夜間部ともに、テスト後、打ち上げに出かける模様。
 逗子院のスタッフからも飲み会への「呼び出し」が携帯にあったが、今日はいささか疲れた、ちょっとオジさんは遠慮させてもらいますよ、明日は卒業式だし。ゴメンね。
 夕食=餃子など。

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自分の頭で考えること①

 午前9時出勤。久しぶりのいい天気。靴も数日ぶりにレインウォーカーからウォークプラチナに替える。明るいうちに退社。
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  これ、触れずにいようと思っていたんだけど、アナンさんに勇気づけられ、ちょっとやることにした。アナンさんとは? 国連のアナン事務総長である。
 イラクでサダム・フセインの裁判が始まった。悪い事したヤツなら罰を受けるのは当然だ。その前段階で、悪い事が本当に行われたかどうか確認するのも当然だ。
 が、ここに問題がある。AさんがBさんを裁くという場合、Aさんにその権限が本当にあるのか、という問題だ。
 例えばアメリカ国内で日本人旅行者が、アメリカ人に殺害されたとする。そのアメリカ人を日本の警察が逮捕し、日本の裁判所が裁けるか? 残念ながらできない。アメリカ領内での事件であるから、犯人を捕まえるのも裁くのもアメリカの仕事であって、日本国はこれに口出しできない。
「なんでだ!」という遺族らの心情は理解できても、できないものはできない。何世紀にも渡って積み上げられてきた国際社会の取り決めがそうなっているからである。
 アナンさんが言っているのはこれだ。悪い事をした疑いのある人間がいるなら、その人を捕まえたり、裁判にかけたり、その上で有罪と決まれば刑罰を科したり、と、それはもちろんいいのだ。が、今のイラクでフセインを裁こうとしている裁判所にその権限があるのか?
 イラク国の裁判所が自発的にイラク国民を裁いているのだから問題はないではないか、とアメリカは言う。が、あれは実質的にはアメリカが主導している裁判所ではないだろうか? アメリカ国がイラク国民を裁く、というのが実態じゃなかろうか? だとすればおかしいのでは?
 ということだ。お分かりだろうか?
 実はこの件は我々日本人には人ごとではないんである。続きは明日にでも。

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ハーフパンツ

 ゆっくり進む台風20号のおかげで朝はまだドンヨリしているが、もう雨は降っていない。午後には晴れる予報。午前9:00出社。
P1000002P1000001 1年生はアドホック・テクニックの実技テスト。明後日は座学の期末テストである。
 ボクはボクで上の他に、やれコピー機屋の営業マンさんが持ってきた見積もりに目を通したり、スタッフにコンピューターの操作を教えたり。また午後には新しく買った本棚が届く。これの配置を指示したり、今までそこら辺に転がっていたコピー用紙やら治療用テープやらを自ら詰め込みと、そういう学期間休みでないとできなさそうなことに精を出す。
 さらに直営店の院長相手に今日からEメールによるホームページ・アクセスアップ対策指南を始めてしまう。これも打つのになかなか骨が折れ、アッという間に夜10時。いい加減、頭が働かなくなって退社。
 品川駅近くで信号待ちをしていると、すぐ後ろの女の子が携帯で
「うん、今日めちゃめちゃヒマでさぁ~、ずっとそのこと考えてた」
 朝夕は結構寒くなってきたが、まだハーフパンツで出勤している。別に何かのやせ我慢をしているわけではなくて、ただあつくなってくるんである、歩いていると。
 この場合、暑い、熱い、どっちを使うべきなのか? ボクが歩くと気温が上がるわけではないから「暑くなる」のはおかしい。高まるのはボクの体温だろうから「熱くなる」がベターだろうが、別にボクはここで自分の体温の高低を言っているのではない。感覚のことを言っているのだ。って、どうでもいいか。
 いずれにせよこの時期にハーフパンツで電車に座っていると、女の子とか、絶対に隣に座って来ませんね。どういう人に思われているのか?

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挑戦状

P1000001 ボクのデスクにこんなモノが。「コナン」? あの名探偵コナンくんからの挑戦状か?
 よく見ると「コナシ」。インストラクターの小梨さんから回ってきた書類である。
 学院でチャートと呼ばれているものだ。教科書を補う「まとめ」であり、これがそのままテストの問題ともなる。
 事務局にこもったインストラクターたちが何をやっているかというと、例えばこんなものを作っていたりするのだ。写真は、ボクがまず第1稿を作ったものに小梨さんがチェックを入れて差し戻してきたもの。間違ってちゃ混乱するからね、学生さんが。2重、3重にチェックを入れるわけだ。
P1000003 事務局の様子の紹介ついでに、もう一枚。その片隅に、写真のように常にお菓子を積み上げた一角がある。甘党が多いということだな。
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 一日、Hさんと事務仕事。阿部さんも出てきて、自分の勉強。
 雨の中、それでも明るいうちに退社。夕食=モツ鍋など。

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奇妙な論理

 一日中雨。
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 大阪府内のタクシー運転手さんたちが、賠償金を求めて国を提訴したんだそうである。理由=規制緩和で競争が激化し、収入が減ったから。感想=ボクも訴えてみたい。
 萩原健一さんが離婚するんだそうである。理由=人身事故や映画の降板をめぐる騒動などで奥さんに「迷惑をかけた」から。感想=喫煙を見つかった野球部員が退部するとか、不祥事を起こしたサラリーマンが退社するとかいう、あのノリですね。
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 新人インストラクターの阿部さんは、昨日、今日と早くもイバリュエーションを受けている。学生からの通信簿だ。どう?
 バッチリでしょう。早くも、彼の臨床経験を聞く時間を作って欲しいとのリクエストが学生からあったぐらいだから。
 夕食=カキフライなど。

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説明会

 昼過ぎに出勤。1年生の準本科の授業が続いているが、ボクの出番はなし。
 地元の図書館に小室直樹『小室直樹の中国原論』を返す。ほぼ熟読。小室さんは久しぶりに読んだが、やっぱり面白い。結論的には、中国というのはどうも、資本主義国として健全に発達してゆくのは難しいんじゃなかろうか、ということ――ですよね、小室さん?
 が、西欧とはあまりに違う伝統があるせいで、経済発展は望めないでしょうというのなら、それはかつての日本にも言えたはず。そこんところがどうなんでしょう?
 学校説明会。
 夕食=中華ちまきなど。

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自閉症裁判

 午前9:30出勤。昨日とは打って変わっての曇天。スタッフHさんと二人、ちょぼちょぼ事務などこなす。
 午後、気晴らしに五反田図書館へ。10月4日に借りた本をまとめて返す。
 佐藤幹夫『自閉症裁判』は、「レッサーパンダ帽の男」による女学生殺害事件を追ったもの。男は実は自閉症の気味があった。「気味」と言うのは男本人はこれを認めていないし、専門家による鑑定も裁判で割れたからだ。
 自閉症とは? よくこれを自閉的性格と混同する人がいるが、両者は箸と橋ほども違う。
 自閉症は先天性の脳の障害である。が、その障害が小さいので、他の障害(例えば小児麻痺やダウン症)ほど目立たないことが多い。医師の診断が一定しない理由もここにある。
 脳のどの部分がどうなっているのかについても、今日の科学では解明されていない。が、非常に小さな「どこか」がつながっていなかったり欠損したりしているのだろう、と考えられている。これをMBD(Minimal Brain Dysfunction)微細脳障害と呼ぶ。
 対して自閉的性格というのは、要するに人と会うのが好きでなくて家にこもったりする傾向のことだ。病気ではなくて個性であり、必ずしも先天的でもない。
 さて自閉「症」の患者さんは、いろいろ苦手なことがあるのだが、特に人情の機微というヤツが不得手である。こんなこと言ったら、やったら、人はどう思うか、感じるか、という「読み」ができにくい。だからちょっと普通でないことを言っちゃったり、やっちゃったりして、周りから浮いてしまうことが多い。
 結果として人の輪から離れ、一人悠々と生きているように見える。このことから自閉症という名がついた。英語ならAutism(オーティズム)であり、Auto(オート=自動=自分だけで)と語源を共にする。
 が、彼らは人の心を読むのが苦手なだけで、もとから人が嫌いなわけではない。人なつっこい自閉症患者さんだって少なくないのだ。だからこの診断名はあまりよくないな、素人さんに間違ったイメージを与えて――ということで最近では、これを広範性発達障害と呼ぶようになってきている。分かりにくい病名ではあるが、だいたい正体がよく分かっていない病気につける名前なのだから、むしろそれでいいのだ。
 さて『自閉症裁判』。精神病患者さんが心神耗弱(判断能力が無い)状態で犯罪を犯した場合、刑罰が減免されることは、みなさんご存じだろう。当人にすれば病気に「強いられて」それをやった、と考えることができ、同情の余地があるからだ。
 さて自閉症は先天的な病気だ。患者さんは選んでそれを獲得したわけではない。自閉症という病気に「強いられて」罪を犯した、と考えることはできないのか。自閉症患者さんに同情の余地はないのか。と、これがテーマである。
 ここまでにしときます。興味あればどうぞ手に取ってみて下さい。

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P1000003 秋晴れ。オフである。
 昨今の日本は人生80年時代。これを春夏秋冬に準(なぞら)えれば80÷4で20年ずつ。
 二十歳(はたち)までが春。思「春」期とはよくいったものだ。20代、30代が夏。40から60までが秋で、それ以降は冬ということになるか。
 春ってのは、まあよいわな。うららかで、のびやかで、ボヨヨ~ンとしていて、なんとなく楽しくて。
 が、大したものを達成するわけでもない。シリアスな意味では稼ぐわけでもなく、働くわけでもなく。勉強っていったって、あの頃のそれはまさに机上の空論だ。
 例えば世界史を一通り舐めてみたって、古人の苦悩や知恵などに本腰いれて向き合うなんてことは(一部の例外的人々を除いては)ない。「一言否とルター言い」とか年号でも憶えるのが関の山でしょう。数学をやったからって、それを使って家を建てるティーンエージャーもいない。
「春眠、暁を覚えず」という通り、温々(ぬくぬく)とした時期だ。 
 夏はキツイね。いや、泣いたり笑ったり、就職したり辞めたり、その他にもいろいろと、心身ともに落ち着く間というものがない。ギラつく太陽のごとく、記憶に残る強烈な出来事もいろいろ起こる。
 とにかく気温が高いわけで、それだけ分子という分子がソワソワと落ち着かなく動き続けているわけだ。化学変化も一般的には、高温下で活発になる。だから緑は萌えるわ、花は咲くわ、台風は来るわで、自然は大忙し。対応する人間も動物も大忙しだ。
 では秋ってどんなか? 暦(こよみ)上、人生の秋に達した(はず)の人間としては気になる。
 秋といえばまず「食欲の」でしょう。焼肉にフォアグラ、イクラに大トロ。美味いんだな、これが。
 経済的にも以前よりは余裕あることが多いし、体を動かす楽しみって若い頃より制限されるし、やっぱ食うことでしょう、この時期の楽しみって。これぞ中年太りへの一本道。
 しかし肥満は寿命を縮める。見た目も損なう。だから食ってばかりもいられない。
 そういえば「実りの秋」とも言うな。夏に咲かせておいた花のおかげで、秋には実がなるというわけだ。花は綺麗なだけだけど、実は食うことができる。栗に松茸……ってだから食べる話じゃないっての。
 人様の臓腑(ぞうふ)を満たし、活力の源となり、社会を安定させるのは実であって花ではない。花より団子だ。
 そんなわけで、いい秋にしたいものだ、今年も。

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行列のできる治療院

 直営店院長のTさんと数学の問題を解いている夢を見る。こ、これは高校で習ったっきりの行列だ。なぜ? 治療院に行列を作るためには? という議論から出発してそこに行っちゃったとか?
 行列ができればいいのか、治療院は? 誤解を恐れずに言おう。ズバリそうであるとボクは考える。
「違法なことをやっているのなら別」との但し書きは、もちろん付く。違法なこととは? だます(詐欺)とか、脅す(恐喝)とかである。
 暴力団の方々の中には儲かっていらっしゃる向きも多いわけだが、あれでいいのか? やっぱりいけないでしょうし、ご本人方もそれはお分かりでしょう。
 儲かっているとは? 地域の方々から支持され、喜ばれているということ。その人の提供する物やサービスを手に入れるためなら喜んでお金を払いましょう、と思ってくださる方が多くいらっしゃるということ。アンタはエライと言ってくれる人がいっぱいいるということ。
 そういうこと。幸せなことだ。 
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 午前7時出勤。快晴。また早い。
 学校説明会に既に参加した方からEMでご質問を受ける。
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Q「月水金または火木土のクラスに分かれていますが、火曜の夜クラス、水金の昼クラスといった授業の参加は可能でしょうか?(月曜と火曜の授業内容は同じでしょうか?」
A「結論からすると不可能です。月水金は1年生の、火木土は2年生の授業です。よって、月曜と火曜の授業は全く異なるものであり、かつ、1年生のカリキュラムをこなしていない人に2年生の授業を受けるのは無理です」
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Q「授業前後の自主練習では、インストラクターの方はついていただけるのでしょうか?」
A「もちろんです」
 インストラクターが教室にいなければ、事務局まで呼びに来て下さい。これは課外ですが、遠慮することはありません。インストラクターはちゃんと、それにつき合うことに対してサラリーもらってますから。
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Q「JR定期券を取得する際、学院生であることによる学割は適用されるのでしょうか?」
A「されません。弊校は区分上は専修学校です。学校法人ではありません。定期が利くのは学校法人が運営する学校の生徒までです」
――
Q「1年生の段階から、事前に2年生の学費を払うことによって、2年生の一部の授業(座学など)を受講することは可能でしょうか?やれることは、1年目からどんどん学んでいきたいと思っています」
A「手続き上は全く可能です。そういった素養・経験がおありの方であれば、そういうこともあってよいだろうと考えます」
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 こんなもんかな? お分かりいただけたでしょうか?
 いつもの教材開発。ほとんど趣味化している。いつまで続くことやら。
 新人インストラクターのAさんにコンピューターの使い方を教えるのに時間をかけ、明るいうちに帰宅。
 夕食=海老フライなど。

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ない!

 昨晩は一睡もできず。多分、連休中に寝過ぎたせいだろう。結局午前3時にベッドから起き出す。
 まだ暗いうちに電車に乗り出勤。車中から夜が明けるのを眺める。空いていて気持ちがいいし、早く職場に着けば仕事も片づこう。
 1年生の授業。最近学院にジョインしてくれたDCのAさんの初講義。どう?
 ボクの実技は、ちょっとゆっくりと、前回にやったUE(上肢)テクニックの復習。上肢はデリケートである。角度といい、力といい非常な微調整が要求される。1mm、2~3°の違いで、効きもすればスッポ抜けもする。そこらへんの加減の体得が今日のテーマである。
 夕方になるとさすがに目がしょぼついてくる。元気をつけようとポロロッカに行くと、鳥の唐揚げ丼がない! ボクがしばらく買わずにいたため、売上が落ち、販売停止になってしまったとか? 困るぞ、そりゃ。

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ジムに打ち込む

 2年生の授業が学期間休みに入っているので、スタッフHさんと二人だけで朝から晩まで事務仕事に打ち込む。後期のスケジュール作成、教材の見直し、自習に来ている学生にちょっかいを出す、コピー機の営業さんとのやり取りなどなど、やっているうちにアッという間に暗いはずの時間となる(学院事務局は地下だもので、外の様子が分からない)。
 ビデオ学習に来ていたKさんに
「この間(おととい)の(2年生の準本科の)打ち上げ、2次会はどうでした?」(ボク)
「8時頃まで飲んでました」(Kさん)
 2時半に始めて――だから、延々6時間。そりゃ体にはあんまり良くないですよ。
 夕食=パスタなど。

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ブラブラ歩く

P1000007 オフ。小雨が降ったり降らなかったりする中、図書館を回った後で、近所を歩き回る。
 写真は、地元で知る人ぞ知る、信号も遮断機も無い踏み切り。レアだよなぁ、これ。
 静かな住宅街。表札を眺めながら歩く。神定さん。多分「しんじょう」さんとお読みするのだろうが、これいいですねぇ。神の定め、か。
 そんな宿命論的な、と言うなかれ、読者よ。どうせ神様の定めたことなんだから、と納得したり諦めたりするのは、キリスト教などの一神教における人格神を念頭に置くからからこそ、そういうことになる。
 手にお箸(でもフォークでも)持っていただきたい。で、指を離してみてほしい。モノは落ちたろうか? やっぱそうでしょう。
 おヒマなら、手を離してからフロアに落ちるまでの時間を計ってみてほしい。同じ高さから落としたのなら必ず同じ時間でフロアに達するはずである。しかも何回同じことをやっても、ぴったり同じ結果になるはず。この「几帳面さ」を神、あるいは神々と呼ぶのが汎神論という立場だ。
 近代哲学の祖デカルト、そしてその後継者たるスピノザもライプニッツも、またあのニーチェも、みなさん汎神論者。こう神を定義してしまえば、「あなたは神を信じま~すか?」という質問そのものが馬鹿らしいことに気が付く。
 質量保存の法則とか、三平方の定理とか、水はH2Oだとか、そいういう自然の摂理イコール神だからして、汎神論では。信じるも信じないもない。信じないとかいったら、ただの馬鹿である。
 そんな世界の摂理に謙虚でありなさい、という意味であれば(そうだろうと思うが)、「神定」さんっていいじゃない。

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2年生準本科オワリ

 午前10:30頃出勤。1日休んだだけなのに、Eメールが50件以上もたまっているのに驚く。
 午後2:30より、最近オープンした五反田チェゴヤ“西口店”にて、2年生準本科の打ち上げにつき合う。
――――
 ボーイ・ジョージ、44歳、コカイン所持で、ニューヨークにて逮捕される。44って何かピンとくると思っていたら、ボクの高校、アメリカンフットボール部時代の背番号であった。スピノザも44で亡くなっている。
 いうまでもなく44は、日本では死死であるから、不吉なナンバーである。そのせいかどうか、同年齢で亡くなっている著名人はスピノザ以外にも多い。ざっと調べてみたところでも大石内蔵助、ラスプーチン、サン・テグジュペリ、オスカー・ワイルド、大塩平八郎、チェーホフ、D・H・ロレンス、(五代目)野村万之丞、マーヴィン・ゲイ、そしてあのたこ八郎さんなどがいらっしゃる。みなさん、一家を為した後の死であることは言うまでもない。
 死因は、スピノザ、ロレンスが肺結核(今日なら治る病気)、野村ががんである他は、暗殺、自刃、不慮の事故などが大部分を占める。まだまだ若いからね、44は。
――――
P1000003 経理関係のPCワークなどし、まだ授業が続いている1年生の準本科の教室に顔を出す。UEの実技練習などやっている。
 UEとは? Upper Extremitiesつまり上肢、つまり腕のことである。「UEテクニック」と大川学院で言った場合、上肢に広くアプローチする独特な手技のパッケージを指す。
 これにちょっかいを出していると、2年生準本科打ち上げの幹事Sくんから携帯に電話が入る。5:30から五反田駅前のWで二次会とのこと。
 行かずばなるない。大川学長は、誘いませんが、誘われたら断りませんから。
 帰りがけ、Sさん(女性)から
「先生、酔った勢いでうち明けますけど」
 え、それってまた、前から好きでしたとか?
「大川学院にしてよかったです。自分の鼻を信じてよかったです」
 ってSさん、そう言っていただけるのは嬉しいですが、別に「酔った勢いでうち明け」るほどのことでもないんでは――。

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今日こそ

 今日こそ完全なオフ。
 夕食=スパゲッティーなど。

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カラオケボックス

 2ヶ月ぶりの散髪。
P1000009P1000011 自宅近所を散歩。気になる定食屋さんを見つけ、珍しく昼食をとってしまう。
 2年生期末テスト。マネジメントは一応スタッフのHさんに任せてあるが、みんなの顔色うかがいに午後2時半ほどに顔を出す。経理の処理などついでにやり、4時には出る。
 そのままのんびりするかと思っていると、夕方、逗子院の新スタッフ、Gさんから携帯に電話が入る。9時には終業するのでみんなで飲みに行きませんか、とのこと。以前からの約束でもある。行くか。
P1000001 近所の居酒屋で飲んだ後、カラオケボックスへ行く。カラオケボックスってボク、実は初めてである。
 ゆうに午前様となり、これだけ盛り上がっておいて、彼らはまた明日、仕事である。しかも逗子院の朝は早くて、出勤が午前7時ぐらいのはずだ。元気だなぁ。
 Gさんは自宅からの通いであるが、やはり新スタッフのMさん、Aさんは、就職に合わせて逗子に引っ越してきた。古手スタッフのTさんも逗子に下宿中である。みなさん、頑張ってください。

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お便りありがとうございます

 午前10:30出勤。小雨。
 昨日、お子さん方が授業見学に来ていた、2年生のNさんからEメールをいただく。
「こんばんは。本日は子供たちを見学させてくださりありがとうございました。特に長女は頭痛に悩まされることが多いので、今日の授業内容は興味深かったようです」
 そりゃちょうどよかったですね。
「これからは、先生の教えを活かせるようしっかり修行していきたいと思います」
「修行」ですか、いいですねぇ。ちなみにこの方、武道家であられる。そうそうNさんは最近、学院直営店でもパートで働き始めたんでしたよね。
「一年半の授業は入学前に想像していた通りすばらしいものでした。本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます」
 こちらこそです。明日の期末テストも頑張って下さい。
 卒業生Mさんからもメール。
「この度9月20日付で会社を設立いたしました。名称をSと申します。Sカイロプラクティックの屋号はそのまま使用しますので、院の運営を㈲Sが行う、という形になります。
 元々は<中略>税金対策の為(笑)、というのが出発点の設立ですが、現在は「どうせ会社にするなら無理のない範囲で大きくして行こう」と考え直しております。
 現在、2003年10月生のY君が9月16日より当院の正規スタッフとなっており、状況を見て少しずつ増員して行く計画です。スタッフの募集などの折には何卒ご協力並びに、今後ともご指導のほど、お願い申し上げます。取り急ぎ近況のご報告まで」
 いいですねぇ。自身が開業して間もない頃の昂揚した気分を思い出します。頑張って下さい。ウチの学生、卒業生もドンドン使って、鍛えてやってください。
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 1年生の授業は腎炎(座学)、耳への手技(実技)。ボク担当の実技部分はメニエール病についての講義を含む。
 夕食=ハンバーグなど。

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修学旅行

 いまにも降り出しそうな曇天下、午前10:30頃出勤。
 見学者の方々、しかも若い、が多い日であった。まず高知県から修学旅行で東京にやってきた高校2年生の女の子たち5人。そして現2年生のNさんのお子さん、女の子1人に男の子2人。教室内が華やぐ。
 2年生の授業はまるまる1回かけて頭痛について。たまに生涯一度も頭痛をやったことがないという人がいるが、これは珍しい。多くの人が何度かはやっているはずである。が、それがずっと続くわけでもなければ、後遺症が残るわけでもない。9割以上の頭痛は慢性頭痛と呼ばれ、生命に別状ないものだ。
 慢性頭痛はさらに、主に2つに分けられる。片頭痛と緊張性頭痛である。
 片頭痛は頭の片側のみがズキズキするもの。これに対して緊張性頭痛は左右差はなく、しかも拍動せずにボーッと痛いものである。前者は頭部の血管の異常な拡張によって、後者は頭部、頚部の筋肉の異常な緊張によって起きる。
 何故血管が拡張してしまうか? 実はいったん血管が異常に収縮することが原因だ。
 頭部の血管が収縮してしまうということは由々しき事態なわけで、放置すれば脳が死んでしまう可能性がある。だから体はそれに過剰に反応して、20~30分後には血管を逆に拡張し過ぎる。この際、この頭部の血管が周りの組織を圧迫するのが、あの片頭痛のズキズキする痛みの原因である。
 では何がそもそも血管を収縮させるか? いろいろあるが、精神的ストレスが一番の原因である。
SCM 緊張性頭痛もストレスが原因である点は同じである。ストレスのせいで頚から上の筋肉が緊張する。そうなると筋肉がトリガーポイントという「しこり」を持ち、これが関連痛という痛みをあちこちに「飛ばす」。で、たまたま頭部に飛んだ関連痛が頭痛として認識されるという次第である。図は頚の前面にある胸鎖乳突筋という筋肉から、側頭部への関連痛のパターンである。
 だから片頭痛も緊張性頭痛も、その大元は一つ。ズバリ、ストレスである。「頭いたいよ」って言うでしょ。
 痛い頭を癒すべく、夕方、雨中、五反田図書館へ歩く。佐藤幹夫『自閉症裁判』、中央公論社『世界の名著25スピノザ・ライプニッツ』、ニーチェ『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』、泉治典『世界の思想家3アウグスティヌス』を借りる。
 今日で2年生の前期の授業は全て終了。夕食=麻婆豆腐など。

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ニューフェイス